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  • 2012.12.25 Tuesday
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誕生日記念

 


 先日、スタジオで誕生日記念の写真を撮影しました。

 形だけを設定した撮影ではなく、本当に当日誕生日だったモデルの撮影です。

 ちょっと面白いのは、ゲームのイナズマイレブンの中にだけ登場するユニフォームを着て撮影したことで、ここに写っている衣装は、すべて手縫いで仕上げたものです。

 といっても当日までに仕上がりが間に合わなかった部分をスタジオで仕上げ、メイクをしてから撮影を始めたので、終了までに6時間ほどかかりました。

 ケーキは本物を買ってきて、それに100均で買ったろうそくや、その他の誕生日グッズなども交えて撮影しました。

 撮影終了後には、ケーキをおいしくいただいて、楽しい時間を過ごすことができました。

こんなどら焼きがあった


 昨日、大学時代に所属していたグラブの創部50周年記念祝賀会に出席してきました。

 卒業以来、同期以外は36年ぶりの再会になります。

 クラブを創設した1期生は、私よりもひと回り年が上なので結構な高齢になります。
 しかし先輩、後輩の中でもいちばん親しみがあるのは、私たちが1年生の新入部員だったときの執行学年だった3年生の先輩です。
 颯爽と何事にも立ち向かう姿にあこがれたものでした。

 36年ぶりに会う人たちは、まだまだ現役の人、まるで別人のように変わった人、既に亡くなられた人など様々でしたが、大体は顔を合わせるとすぐにどなたかがわかる範囲でした。

 10年ごとに記念祝賀会をしていますので、次回はまた10年後の創部60周年時ということになりますが、その時まで元気に過ごしたいと思います。

 ところで、一番変化があったものは大学校舎でした。我々が在籍していた当時の校舎はすべて立て替えられて、新しい校舎に変わっていました。在学中の面影がわずかに残る部分もありますが、もう別の学校のような佇まいです。

 まだ新しくなって2〜3年しかたっていないので、どこもピカピカです。これならあと100年くらいは楽に持つことでしょう。現在の学生が羨ましいです。

 さて、祝賀会が終わり、皆お土産をもらったのですが、そのお土産は大学の名前がついた「国学院どらやき」でした。
 世田谷区の「亀屋」さんの商品で、その種類は3種類・・・・。「米どらやき」「季節のフルどら」「あんみつどらやき」です。
 米どらやきは皮に米粉が練り込まれているもの。季節のフルどらは、春は梅、夏はブルーベリー、秋はキウイ、冬はゆずの餡になるどらやき、そしてあんみつどらやきは皮に黒糖を練り込み、餡はみつ豆に見立てた小倉餡、錦玉で作った寒天を二つ、求肥などをそれぞれ盛り込んだものになっており、これから食べるのがとても楽しみなお菓子です。

 この特製どらやきは、大学構内の売店のほか、亀屋店頭でも販売されています。老舗のつくる特製どらやきを食べてみたいという方は、ぜひ店頭でお買い求めください。

 「亀屋」所在地 〒156-0051  世田谷区宮坂3-12-2
               電 話 03-3429-0208
               営 業 10時から20時  水曜定休  

五月さん、プロテスト合格

  6月3日、元の職場では隣の係で仕事をしていた「メイ」こと安部五月さんが、ビリヤードの競技者として、念願のプロテストに合格しました。

 彼女は「まいにちビリヤード」というブログを開設しているので、これを読んでいる方はご存知かと思いますが、プロのプレーヤーとしての活動に専心するため、昨年職場を去りました。
 在職中は何度かビリヤード場で彼女の写真を撮影したのですが、「近日中にプロテストに合格する」と、その頃から宣言していました。

 この朗報を、私はやはり職場で一緒に仕事をしていた元の同僚から、3日の深夜に聞いたのですが、「ついにやったッ!!」と、とても嬉しく思いました。

 ただ、この業界はプロとして仕事をするにしても、ゴルフなどのように競技大会で優勝したとしても賞金額が桁違いに少ないようで、仮に全国の競技大会で優勝したとしても、賞金だけで生活を成り立たせるだけのものは得られないと、彼女から聞いたことがあります。それだけ日本国内ではビリヤードの競技人口が少ないということなので、プロとして生活を安定させるには厳しい環境であるようです。

 しかし五月さんの場合、行動力と意思の強さは並外れたものを持っているだけでなく、在職中に結婚して、プールプレーヤーと主婦を両立させており、また、誰からも愛されるような人気者で「華」もあるキャラクターでもあるので、このまま日本国内でプロとして活動するのに、競技大会へ出場すると同時に、個人レッスンの指導者として活動していけば、「行列のできるビリーヤード指導者」になれるだろうと思います。
 でもできることなら国内ではなく、その活動拠点を豊かな市場がある海外に移して、持てる才能を十分に生かして大活躍をしてほしいと思うのです。

 もうしばらく国内で実力を蓄えて、大きく海外に羽ばたいてほしいと思っています。

 五月さん・・・・・ほんとうに合格おめでとう !!!
 

今日で退職です。

  ついに今日3月31日がきてしまいました。

 35年間勤めた職場を本日付けで退職しました。

 普通なら定年退職が一般的なのですが、私の場合は定年まで数年残しての退職です。

 明日からは、友人と二人で行政書士事務所を開設するための準備に入ります。友人は一足先に行政書士会に登録を済ませたので、職名を名乗って仕事ができるのですが、私の場合は今日までは現役の職員ということで、兼業が禁止されているため、退職してからでなければ、登録を受け付けてもらえません。

 あした登録申請して、ようやく本格始動というところです。

 まったくのゼロからの再出発なので、先輩行政書士の方の経験では、おおむね3年くらいは下積み期間があるようです。我々も最低3年間はどんなことがあっても廃業など絶対に考えないように事務所を経営していくつもりです。

 もっとも特別設備投資が必要なわけではなく、大体の事務所がそうであるように、我々も自宅事務所からの出発です。願わくばどこか場所がいいところに事務所を構えるくらいのところまでこぎ着けたいところですが、今は期待と不安が半々といったところです。

 事務所の開設に合わせて、このブログにも情報を載せていくので、どうかよろしくお願いいたします。








ちょっと早めのクリスマス


 12月に入り、特にここ一週間ほどは、寒波のせいもありとても寒い日が続いている。日本海側では大雪のニュースが連日報じられている。

 そこで今年は「ころばぬ先の杖」ということで、クルマのタイヤをスタッドレスに換えた。自動車の運転免許をとって30年以上になるが、一度もタイヤ交換を自分の手でやったことがなかった。すこし時間があったので、思い切って自分で交換することにした。

 最初は要領が悪くて一本目のタイヤを交換するまで手こずったが、二本目以降はだんだん作業に慣れてきて、時間もかからなくなり、無事に4本とも夏用のタイヤからスタッドレスタイヤに交換することができた。数年前に年末の温泉一泊ドライブで、急に雪に降られて、えらい目にあったことがあり、それ以来スタッドレスタイヤを常備するようになった。今年の冬はこれで安心してクルマで出かけることができる。

 また、レーダー探知機も欲しい欲しいと思っていたが、なかなかコレという機種が見つからずいろいろな機種を見てはいたが、決めかねていた。たまたまある自動車雑誌に載っている記事で、あるメーカーの機種が目に留まり、ネットで検索して価格も性能そしてデザインも、さらにクチコミの評判も納得できるものが見つかったので、それも購入し、同じ日に取り付けてしまった。

 まだ実際に走行して、どのくらいの警告をわかりやすく表示しながら、音声案内をしてくれるのかわからないが、これからしばらくの間は、運転するのが楽しみだ。

 そして今日、1年ぶりに教会で一足早いクリスマス礼拝に出た。私の母が聖歌隊に入っているということもあるが、やはりクリスマスと言えば教会に限るということもあった。しかも12月20日の自分の誕生日が日曜日でクリスマス礼拝に当たるというのも、そう滅多にあることではない。

 とは言え、前日に慣れないタイヤ交換の作業などするものだから、朝は体中が痛くて、なかなか起きることができなかった。
 一念発起の思いで寝床から這い出して、大急ぎで支度をしてようやくぎりぎりで礼拝の時間に間に合ったという感じだった。

 クリスマス礼拝ということもあり、3人の人たちが新たに洗礼を受けた。

 聖歌を歌い、おごそかな礼拝堂のなかにいると、そこが秋葉原電気街のまっただ中にあるということを忘れてしまう。

 礼拝のあと、食事会をして、また新たな一年に思いをはせながら、早々に雑踏のなかを家路に急いだ。来年は私の人生のなかで、とても大きな転機を迎えることになる。

 来年もまたクリスマス礼拝の日を心穏やかな中で迎えられることを願って・・・・。 

10期卒塾式

JUGEMテーマ:日記・一般


 今日、文化放送メディアプラスホールにてミュージカル体験塾第10期生の卒塾式があった。わたしも一年分の写真をまとめて収録したDVDを人数分持って、卒塾式に出席した。

 総勢83名の10期塾生たちが、終了証書をもらった。さらに、一年間一度も欠席しなかった皆勤賞と欠席3日以内の精勤賞の塾生が会わせて53名もおり、最終期ということもあったのかもしれないが、とても成績の良い10期体験塾だった。

 最終公演での入賞者数も、キャパ2000人の渋谷C.C.レモンホールに一回目は1700人、2回目は1400人のお客様が入場され、この記録も10年間の公演の中でトップの成績だったとのことだ。

 お客様からのアンケートの回答は、来年以降も続けてほしいという声が多数あり、また、公演の内容も現代の地球環境問題をしっかりと捉えた素晴らしい作品であったとの評判もいただき、大成功のうちに終演することができたといえるだろう。

 私個人のこの一年間は、決して成績が良い一年だったとは言えず、特に10月までの期間は最悪のペースだった。後半なんとか持ち直し、最終的には平年並みの撮影枚数まで到達したが、一時は定期公演まで撮影を続ける事ができないかもしれないと思ったほどだった。
 平年並の撮影枚数というのは、大体15000枚から20000枚の間くらいなので、5期の開始時から10期までのトータル枚数は約10万枚ほどになる。

 今年の10期生のために作成した写真のDVD1枚には、1528枚の写真を収録したので、昨年のものよりも5割ほど収録枚数がアップしたことになる。これは年度途中までの体調不良による撮影回数の減少を考えると、後半の追い上げが結構順調だったともいえる。

 塾生の撮影は、プロの役者たちとはだいぶ違うので、シャッターを押すタイミングはそう簡単には訪れてくれない。そこをなんとか「絵」にするために、あれこれとフレーミングを変えたり、角度を変えたりしながら撮影する。また、多人数のグループごとに写真をまとめることが多いが、個々の表情などがすべて揃うようなことはほとんどない。
 従ってその多人数のなかのもっとも輝いている人を基準にして撮影していく。そうすると動きや表情が不揃いで緊張感に欠ける場面であっても、そのうちの一人だけでもキラリとするものが捉えられると、その人がその画面の「ヘソ」的な存在となり、結構引き締まって見えるようになる。

 これは本番の舞台でも言える事で、ドン決まりの場面のみを狙っていてもシャッターは一枚も押せないで終わってしまうので、基本的には「ヘソ」になる人物を決めてシャッターを切っていく。
 そのような撮影方法をとってもかなり空振りのカットが出てしまうので、結果として年間2万枚近くの写真を撮影することとなる。

 今年もその方法で撮影したなかから1500枚の写真をチョイスしたから、これらの写真すべてがバッチリ決まっている写真とは限らないのだ。それでもDVDに収録する写真の中に入れるのは、やはり塾生の一年間の記念になる写真としてDVDを作成しているので、このへんは写真展レベルの写真の選択とは異なる選択方法である。

 はたして10期生83人の記念写真として喜んでもらえるかどうか、気になるところだが、塾生の皆さん、きょうは無事終了されて、おめでとうございました。

きょうは終戦記念日

終戦記念日


 きょう8月15日は、終戦記念日である。
 いまから62年前のきょう、日本は連合国に無条件降伏をして、長かった太平洋戦争が終わった。
 終戦を迎えた62年前の8月15日も今日のような猛烈な暑さの一日だったようだ。

 8月15日になると、毎年東宝映画「日本の一番長い日」を思い出す。自分自身は戦後の生まれなので
戦争やその後の食糧難の経験はない。しかし、幼い頃電車に乗ると、走行中の車内に義足、義手でアコーディオンを弾きながら乗客の間をゆっくりと歩いてゆく傷痍軍人の姿を思い出す。電車の中ばかりでなく、駅の階段の踊り場、ガード下などにござを敷いて、両手を前について頭を下げたままじっと通行人からの投げ銭を待つ傷痍軍人の姿が、ほんとうに今でも目の中に焼き付いており、とても恐かった思い出がある。二人一組で廻る人たちや、犬を一緒に座らせてござの上でじっと座る人までいろいろなスタイルがあった。港区芝白金三光町に母の実家があったので、渋谷駅から都バスに乗って三光町まで行った。夜になると東急東横デパートのあちらこちらに、傷痍軍人の姿があり、それらを母とよけながら歩いたものだ。
 さすがに小学校を卒業するころには傷痍軍人の姿はほとんど見られなくなったが、写真展等で上野に行くと、駅前の文化会館前で、つい最近までなつかしい傷痍軍人の衣装でかつてのスタイルのままアコーディオンをひきながら軍歌を歌い投げ銭を待つ人の姿を見る事ができた。

 一面の焼け野原で迎えた終戦から62年、現代では食糧難やもの不足などどこ吹く風の時代となった。かつて日本が戦争をしていたことすら、もはや身近なことがらではなく、昔の歴史の一ページにすぎない事件くらいにしか感じない人たちも珍しくなくなってきている。国の首相までが堂々と「憲法改正」を声高にうったえる時代である。しかし62年前の事実を考えれば、憲法改正などと言われること事態とても恐ろしい現象のように感じる。
 戦争の道を選ぶか、平和の道を選ぶか、それはすべて我々日本国民の意識に、その運命がかかっているだろうと思うのである。

 8月15日にNHKラジオが放送した天皇陛下の玉音放送がネットで見つかったので、その全文をここにコピーさせていただいた。
 ぜひお読みいただきたい。


終戦の詔勅(玉音放送)

 朕深ク 世界ノ大勢ト 帝國ノ現状トニ鑑ミ 非常ノ措置ヲ以テ 時局ヲ収拾セムト欲シ 茲ニ 忠良ナル爾臣民ニ告ク
 朕ハ 帝國政府ヲシテ 米英支蘇 四國ニ對シ 其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨 通告セシメタリ
  (syusen1.wav 258KB 33sec)

 抑々 帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ 萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ 皇祖皇宗ノ遣範ニシテ 朕ノ拳々措カサル所 曩ニ米英二國ニ宣戦セル所以モ亦 實ニ帝國ノ自存ト 東亜ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ 他國ノ主權ヲ排シ 領土ヲ侵カス如キハ 固ヨリ朕カ志ニアラス
  (syusen2.wav 278KB 35.5sec)

 然ルニ 交戰巳ニ四歳ヲ閲シ 朕カ陸海将兵ノ勇戰 朕カ百僚有司ノ勵精 朕カ一億衆庶ノ奉公 各々最善ヲ盡セルニ拘ラス 戰局必スシモ好轉セス 世界ノ大勢亦我ニ利アラス
 加之 敵ハ新ニ残虐ナル爆彈ヲ使用シテ 頻ニ無辜ヲ殺傷シ 惨害ノ及フ所 眞ニ測ルヘカラサルニ至ル
  (syusen3.wav 352KB 45sec)

 而モ 尚 交戰ヲ繼續セムカ 終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス 延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
 斯ノ如クムハ 朕何ヲ以テカ 億兆ノ赤子ヲ保シ 皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ
 是レ 朕カ帝國政府ヲシテ 共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ
  (syusen4.wav 254KB 32.5sec)

 朕ハ 帝國ト共ニ 終始東亜ノ開放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ 遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
 帝國臣民ニシテ 戰陣ニ死シ 職域ニ殉シ 非命ニ斃レタル者 及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ 五内為ニ裂ク
 且 戰傷ヲ負ヒ 災禍ヲ蒙リ 家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ 朕ノ深ク軫念スル所ナリ
  (syusen5.wav 297KB 38sec)

 惟フニ 今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ 固ヨリ尋常ニアラス
 爾臣民ノ衷情モ 朕善ク之ヲ知ル
 然レトモ朕ハ 時運ノ趨ク所 堪ヘ難キヲ堪ヘ 忍ヒ難キヲ忍ヒ 以テ萬世ノ為ニ 大平ヲ開カムト欲ス
  (syusen6.wav 206KB 26.3sec)

 朕ハ茲ニ 國體ヲ護持シ 得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ 常ニ爾臣民ト共ニ在リ
 若シ夫レ 情ノ激スル所 濫ニ事端ヲ滋クシ 或ハ同胞排儕 互ニ時局ヲ亂リ 為ニ 大道ヲ誤リ 信義ヲ世界ニ失フカ如キハ 朕最モ之ヲ戒ム
  (syusen7.wav 270KB 34.5sec)

 宣シク 擧國一家子孫相傳ヘ 確ク神州ノ不滅ヲ信シ 任重クシテ道遠キヲ念ヒ 總力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ 道義ヲ篤クシ 志操ヲ鞏クシ 誓テ國體ノ精華ヲ発揚シ 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
 爾臣民 其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ
  (syusen8.wav 258KB 33sec)

音声データ syusen.wav(全文)
2186 KB (4min40sec PCM-8kHz 8bit mono)
ひらがな、新漢字の文章 →
現代文訳 →
画像データ 御署名原本(天皇が署名した公文書) →
← 「開戦の臨時ニュース」へ
enjohji@geocities.co.jp

ようやく肩の荷がおりた

 きょうは父の納骨の日。朝からいろいろと身支度をして、自宅を9時頃に出た。
 谷中の墓地に11時に集合で、クルマで出たのでかなり余裕を持って出発した。

 幸い激しい渋滞などがなく、1時間余りで日暮里の駅前まで到着した。そこで
家族の一部を降ろし、こちらは先発隊で墓地に向かう。墓地の敷地内の適当な
場所にクルマを止めて、我が家のお墓まで歩いて行った。鉄道の線路を見下ろす
場所なのでとても見晴らしがいい。それに心配だった天気もバッチリ晴れてくれ
たので、黒の喪服では少々暑かった。納骨式は30分で終了し、その後は東天紅の
中にある日本料理のレストランで会食をして散開となった。

 このような行事はだいたいどこでも同じようなものだろうが、前日まで出席す
る人数が増減する。前日の夜ようやく人数が確定し、レストランに連絡して当日
を迎えた。ドタキャンもその反対も主催する当事者にとっては、正直迷惑な気持
ちにもなるが、故人を忍ぶ会への出席なので、一方では有り難いという気持ちで
もあるので複雑な思いがする。

 とにかく通夜、告別式、香典、諸費用の精算、香典返しの発注、納骨の段取り
等を経て本日の納骨式を迎えられた。やっとここまでやって一段落という感じで
ある。
 でもまだ、自宅の所有権移転登記など、これから取りかからなくてはならない
手続きが残っている。書類の作成など慣れない作業が、まだ当分続く・・・・。

 さて先週の日曜日、ビッグ錠氏の個展とライブに行ったと報告したが、自由
が丘の会場に行く前に、新宿ヨドバシカメラに立ち寄った。レンズのカタログ
をもらうためである。カタログをさがして売り場をうろうろしていると、シグ
マのデジタル一眼レフカメラが目に入った。実は2、3年前からシグマのデジ
タル一眼には注目していた。ニコンやキャノン等のメーカーで採用している
デジタル撮影用の撮像素子とシグマのそれとは決定的に違いがあったからで、
一般の撮像素子は一枚の素子のなかにRGGBの4つの画素を一組としてモザイ
ク状に何万画素かの平面でカラーフィルターが構成されているのに対し、シ
グマのものはR層、G層、B層の3層構成で何万画素という撮像素子ができてい
る。一般的なものでは赤と青の光はわずか25%、緑は50%しか取り込む事が
できず、あとは複雑な演算処理によって色を生成している。シグマはすべて
の色が100%取り込む事ができるので、画像の鮮鋭度が圧倒的に優れ、偽色
や色ずれの発生がない。
 ただこれまで発売されていたモデルは、画素数がその他のメーカーよりも
少なくて、メインカメラで使用するには約不足の感があった。ところがこの
日に展示してあったのは最新型で、1400万画素モデルであった。手に取って
シャッターを切ってみたが、結構軽快な音で歯切れが良かった。ただAFセン
サーの数が5つしか無く、フォーカススピードも甘かった。とりあえずカタロ
グをもらってきたが、価格com.の評判を読んでみるとあまり芳しいものでは
なかった。撮像素子の性能には文句のつけようがない性能を有しているかもし
れないが、カメラ全体の商品性に注目すると、ボディの性能はまだまだで、や
はり買い時ではないというのが正直なところだった。予算がありあまるほどの
余裕であれば、1台購入することもできるが、ボディ1台約18万円のほかに、
交換レンズもすべてこのモデル専用のものを揃えなければならないとなると、
軽く50万円ほどが飛んで行っていまう。ちょっとできない相談だった。
 でもこれからはじめてデジタル一眼レフを手に入れようとする方には、そ
の候補にぜひ入れていただきたい1台でもある。

参考  SIGUMA SD14 撮像画面サイズ20.7×13.8 撮像素子 FOVEON X3
    画素数 1400万画素(2652×1768×3)
    記録モード RAW JPEG 価格オープン

やっと終わった


 父の葬儀が終わった。20日に亡くなりすぐの葬儀とならなかったので、通夜までは3日間の時間があった。その間に親戚、知人、友人関係等にお知らせをしたり、葬儀の打ち合わせをした。通夜の日の弔問客の方が多いので、一応両日で200人分の会葬礼状を用意して通夜当日を迎えた。
 いざ始まってみると予想をはるかに超える弔問客がお見えになった。写真を見てわかるとおり教会での葬儀である。礼拝堂に入る人数は横一列5人で座って150人とのことだったが、とても足りなくて補助椅子をずいぶん出したようである。2日分の会葬礼状はすぐに亡くなってしまい、不足分は後日お届けするということになった。
 私自身が喪主であったので、挨拶の段になってはじめて最前列から最後尾まで見渡したが、一面の喪服姿で熱気にあふれているような印象であった。通夜の礼拝が終わり、献花の長い列が終わって、階下の集会室に行くと、ここもまた人であふれかえっており、ちょっと中に入って行かれない雰囲気だった。しかし職場の仲間が数人代表で来てくれていたので、一目散にそこに挨拶に行って改めてお礼をすることができた。一番ホッとできる瞬間だった。
 二日目のきょうは、朝10時30分から葬送の礼拝だったので、早朝から自宅を出て教会に向かった。さすがに前日ほどの弔問客はいなかったが、喪主としての挨拶をすませ、斎場に行って再び教会まで戻ってきたのは午後3時であった。ここで遅い昼食としての会食をすませてようやく開放された。
 さて自宅にに戻ると皆様からのお花料(香典)の山である。これらの整理とお返しの発送をすませるまで、まだまだ私のお葬式は終わりそうにない。

 しかし今回改めてキリスト教会での葬儀の素晴らしさを実感した。棺と祭壇を飾る大量の生花の素晴らしさ、聖歌と祈りとで厳かにすすめられる葬送式は、陰気な感じがしない。霊柩車もお寺の屋根のような装飾のあるものではなく、とてもスッキリとスマートな感じで好感が持てるものだった。

 一応私もクリスチャンの端くれなので、喪主として会葬者の皆様に挨拶をしたとき引用した聖書のみ言葉を書いて本日の結びとしたい。

 24日 通夜の礼拝
新約聖書 コリント人への手紙 1  10章13節
 「神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。」
 25日 葬送式 
新約聖書 マタイの福音書 11章28節
「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」

祝55周年


 きょうは文化放送開局55周年だそうだ。ということは、昭和27年3月31日に開局したことになる。私はまだ生まれる前である。
 写真は開局から昨年の9月まで局舍であった四谷の建物と、その位置を示す四谷駅前の地図である。この建物は文化放送が民法ラジオ局として開局する前は教会だった。真ん中の写真を見ると教会だったときの面影が残っている。
 もともとはそのキリスト教会が戦後間もなく、布教活動の一環としてラジオ放送をしていたそうで、文化放送はその建物や放送設備ごと譲り受けたもののようだ。今でも一番の株主はそのキリスト教団体だそうである。
 私がはじめて文化放送に行ったのは、平成17年2月のとても寒い夜だった。電車を降りて大通りを歩いて行ってもどこで曲がるのかわからず、何度か道を聞いた。住宅地の中にあるので、狭い路地を入ったところにあるからである。
 暗い夜道でようやくそれらしき建物を見つけると、通用口のところに何人か塾生がいたので、一緒に建物の中に入った。しかし中もまた迷路状態で、集合が第5スタジオだったがとてもスタジオのような雰囲気ではなかった。実はこのスタジオは教会だったころの礼拝堂とのこと、正面の遮光カーテンがなければ十字架が見えたところだろう。
 この時はミュージカル体験塾長の天城先生が、塾生に特別レッスンで日本舞踊を教える日で、その記録写真をたのまれたのである。
 それから何度も旧文化放送局舍を訪れたが、教会の建物が醸し出す独特のレトロな雰囲気が好きで、社屋が移転してから解体されるまでの期間に、ここに何度か来て写真を撮っておいた。内部の写真も記録として撮影したかったが、許可がおりなかった。
 ここは賃貸マンションとして生まれ変わるそうである。

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