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  • 2012.12.25 Tuesday
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祝55周年


 きょうは文化放送開局55周年だそうだ。ということは、昭和27年3月31日に開局したことになる。私はまだ生まれる前である。
 写真は開局から昨年の9月まで局舍であった四谷の建物と、その位置を示す四谷駅前の地図である。この建物は文化放送が民法ラジオ局として開局する前は教会だった。真ん中の写真を見ると教会だったときの面影が残っている。
 もともとはそのキリスト教会が戦後間もなく、布教活動の一環としてラジオ放送をしていたそうで、文化放送はその建物や放送設備ごと譲り受けたもののようだ。今でも一番の株主はそのキリスト教団体だそうである。
 私がはじめて文化放送に行ったのは、平成17年2月のとても寒い夜だった。電車を降りて大通りを歩いて行ってもどこで曲がるのかわからず、何度か道を聞いた。住宅地の中にあるので、狭い路地を入ったところにあるからである。
 暗い夜道でようやくそれらしき建物を見つけると、通用口のところに何人か塾生がいたので、一緒に建物の中に入った。しかし中もまた迷路状態で、集合が第5スタジオだったがとてもスタジオのような雰囲気ではなかった。実はこのスタジオは教会だったころの礼拝堂とのこと、正面の遮光カーテンがなければ十字架が見えたところだろう。
 この時はミュージカル体験塾長の天城先生が、塾生に特別レッスンで日本舞踊を教える日で、その記録写真をたのまれたのである。
 それから何度も旧文化放送局舍を訪れたが、教会の建物が醸し出す独特のレトロな雰囲気が好きで、社屋が移転してから解体されるまでの期間に、ここに何度か来て写真を撮っておいた。内部の写真も記録として撮影したかったが、許可がおりなかった。
 ここは賃貸マンションとして生まれ変わるそうである。

当時の人の寿命

 アメノヒボコの時代の人々は、一体何歳ぐらいまで生きられたのだろうか。
 私の主治医だった先生が監修した本によれば、縄文時代あたりの人たちは、8歳くらいで結婚し、子を育て、15歳くらいで死んだ。
 死因は結核である。結核は日本でも戦前までは死亡原因のトップだった病気である。今でこそ特効薬があるので、死亡原因のトップの座を癌に譲ってしまったが、実に永きにわたって日本人を苦しませ続けた病気だった。
 もし当時の人が運良く結核にかからなかったとしても、男達は、朝家族を部落に置いて狩猟に出かけ、逆に猛獣に襲われて命を落とすというのが一般的だったようだ。平均寿命15歳というのは実に短い一生である。

 アメノヒボコ物語では、新羅の国の王子ヒボコが、アカルヒメを追いかけて但馬に流れ着き、そこで現地の民と共に国づくりをするというものだが、彼らがもたらした当時の最先端を誇る大陸の文化・農耕技術・製鉄技術などにより、日本の民はそれまでの狩猟中心の生活が一気に変革していっただろうと想像できる。田畑を耕して腹いっぱいおいしい米や野菜が食べられ、栄養状態も向上すれば自然と病気に対する抵抗力が増し、寿命も伸びてくる。またすぐれた製鉄技術により強力な武器を手に入れ、狩猟の水準も上がり、狩りに出かけて猛獣に襲われて命を落とすことも少なくなるに違いない。
 この物語は神話の設定になっているが、ヒボコもアカルヒメも実在の人物だったようだ。新羅の国でヒボコの元からからアカルヒメが難波の国に逃げ出してくれたおかげで、ヒボコにとっては災難だったかもしれないが、当時の日本人にしてみればラッキーなことだった。
 きょうの写真は、上から新羅の国の人たちからの贈り物を手にして喜ぶ但馬の女達、新羅の国で神事に用いる鏡を天に掲げるヒボコ、そしてヒボコたちを出迎えた但馬の国の長マタオとその娘マエツミヒメ。

収録した写真-2


 きのうに引き続き「アメノヒボコ物語」本番の写真である。
 ざっと上の写真から解説すると、ヒボコからドメスティックバイオレンスを受けたアカルヒメは、海を越えて大阪難波の国に逃げてしまう。これを追いかけて船を出すヒボコだが、こころの叫びも空しくアカルヒメから追い返される。ヒボコは航海を続けて但馬の国にたどり着く。現地の娘達に好意を持ってもらうために、貝を拾い集めたり肉を焼いて彼女たちの気を引く。
 このシーンはヒボコたち一行がもはや新羅の国には戻る事が出来なくなり、但馬に根をおろして現地の人たちと国づくりに尽くす決心をする場面である。但馬の娘達のダンスが素晴らしい。

 さて、撮影の裏話をすると、一日で2回公演を行うので、今年は一回目の舞台で出演者全員が写るように全コマ撮影し、2回目の舞台では、望遠ズームで出演者のアップを切り取るように心掛けた。露出はすべてマニュアルで決めている。動きをブラさぬようようにした上でピントの深度を上げるため、シャッタースピードを125/1に固定し、絞りで露光を調整するようにした。こうすると明るい場面だと絞り値がF8くらいまでいくことがある。逆に暗闇に近い場面だと開放絞りのF2.8まで開けなければならない。使用したレンズは1回目がタムロン28-75ミリF2.8ズーム、2回目がニコン70-200ミリF2.8ズーム(ブレ防止装置付き)である。ニコンは絞り開放で使用しても十分な解像力とコントラストを示すが、タムロンは絞り開放での撮影はダメである。F5.6くらいまで絞り込んで使用しないと、舞台の出演者全員の姿がボヤけてしまう。もっともこれは舞台全体に並んだ人物の記念写真を35ミリ判のフィルムカメラで撮影するようなものだから、もともと無理な要求なのである。これだけの大人数を1枚のフィルム上に定着するには、最低でも6×7判のカメラを使用する。従って35ミリフィルムの半分の面積しかないCCDで舞台全景を写すわけだから、タムロンのレンズの性能が悪いということではない。絞り込むことで十分シャープな画像が確認できる。ちなみにISO感度は800に設定している。また、絶対に露出オーバーにならないように手動で絞りを調整しながら撮影した。お芝居のシーンは照明の明るさが安定しているが、歌と踊りのシーンでは、次々と照明が変わっていくので、手動での絞りの調節はとても大変だった。2回の舞台撮影が終わると、肩や背中がもうバリバリなのだ。
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収録した写真


 きのうの修了式でもらった、「アメノヒボコ物語」の舞台本番を収録したDVDを見た。考えてみると、このDVDではじめて純粋にお客の立場から、この舞台を見る事ができたことになる。稽古場での稽古風景やゲネプロ、本番と写真を撮っていると、実は頭の中にほとんど連続した映像は残らない。常に役者の動きを注視して良いと思う瞬間を切り取り続けるので、その動きを止めることに集中してしまい、全体を連続的に記憶に残す事ができないのだ。
 このDVDを見ていると、改めて舞台の広さと奥行きの長さを感じる。舞台の写真は、カメラポジションを舞台に対して水平よりも少し上の部分で固定する。群舞の場合は、一番手前の役者から奥の役者までピントが合うように撮影する。ほぼ水平位置から常に見ているので奥行きの感覚はあまりわからない。2階席から撮影されたビデオ映像は、この奥行きの深さが一目でわかる。役者はとても広い空間を何層にも重なって演じていることを改めて知らされる。8期生として始めて舞台を経験する塾生など、年間40日の稽古日数でよくここまで動けるようになったものだと感心した。
 ということで、きょうから数回に分けて、8期ミュージカル体験塾の後期半年の稽古と本番舞台をまとめた写真の中から、順にお見せしようと思う。
 今日の写真は、文京シビック大ホールでの本番で、開演前にアメノヒボコ物語をイメージした衣装を着て挨拶する天城美枝塾長と、ヒボコの前にアカルヒメが姿を現すところまでである。いつも朝の天気を伝えてくれるお天気お姉さんの「橋詰さん」とくらべて、神代の国の華やかなお姫様姿を楽しんでください。
 なお、ここから先は今期の塾生への事務連絡になるが、8期後期と本番までを一枚にまとめた写真DVDの申し込みは、文化放送QRC事務局にFAXで申し込んでください。
 800枚の写真とロビー等で飾った写真展の作品が収録されて1枚2000円です。郵送を希望される方は別途郵送料400円がかかります。
 文化放送開発センター(株)QRC FAX 03-5403-2639 です。

修了式

 きょうは2時から浜松町の文化放送メデイアプラスホールでの、ミユージカル体験塾8期修了式に出席した。もっとも私は塾生ではないので修了証はもらえない。しかしこの一年間8期生の写真を撮り、また来期に向けてのしめくくりという意味では、塾生と同じ立場だろうと思う。
 昨年までは卒業という意味から卒塾式といっていたのだが、今年からは修了式と名称を改め、通信簿形式の修了証を手渡すこととした。1から5までの評価欄はあるが、今年はとりあえず全員オール5の評価としてあったのは面白い。現実の評価は各自で決めてほしいという配慮である。しかし噂によると来期からは、塾長による5段階評価が記入される予定だという。そうなると成績不良で留年しなければならない塾生もでてくるかもしれない。
 この一年、私自身は4月のスタートから体調がすぐれず、5期から撮影を始めて以来最悪の一年だった。確か昨年の卒塾式には体調不良で行かれなかったと思う。もちろん8期の入塾式にも4月の稽古にも顔を出せなかった。8期になってようやく稽古に顔を出したのが5月8日の連休明けからである。しかしその後も体調は良くならず、病院で検査を受けたりしていた。10月には検査入院まですることになった。
 退院後、このまま写真が続けられるかどうか自信がなくなりかけたが、文化放送の大原部長から、カメラなどの撮影機材一式を事務局で預かり、稽古場に来られる時に体だけ来れば撮影できるようにするから続けて欲しいとの暖かい言葉をいただいた。この一言が精神的な支えとなり、年度後半の稽古と公演の舞台写真まで撮影することができたのである。
 おそらく他の塾生にも、この一年間の間にはいろいろなことがあっただろうと思う。継続が危ぶまれるほどの事情に迫られた塾生もあるかもしれない。それでも本番の舞台まで頑張り通して今日の日を迎えられたのである。とても価値ある修了式だったのではないだろうか。
 
 

PIEに行ってきました

 きようは東京ビッグサイトで開催中の「PIE フォトイメージングエキスポ 2007」に行ってきた。2年前からそれまで池袋サンシャインシテイで開催されていた「IPPF」から名称と会場が変わり、ビッグサイトでの開催となったものである。
 写真のエキスポという規模で、プロフェッショナルからアマチュアカメラマンまで、写真業界にかかわるすべての分野の人たちのための年一回の大イベントである。
 私も毎年招待券が送られてくるので、欠かさず行くようにしている。
 今年は以前お世話になった日本広告写真家協会専務理事の小川勝久先生と佐藤希以寿先生にも会う事ができた。このお二人はデジタル写真黎明期から、これらの研究と普及に寄与されてきた大御所で、業界にデジタルカメラが台頭し始めてからというもの、プロカメラマン達にそれらの知識と技術を普及するために、日本中を駆け回っているのである。
 10年前のデジタルカメラは、1万画素1万円であったとのことで、仮に600万画素のデジタルカメラであれば600万円もしたとのことであった。したがってこれらのプロフェッショナル向けのデジタルカメラを周辺機器とともに自費で購入し、個人事業としては莫大な費用をかけて研究していたのである。現在では600万画素の一眼レフデジタルカメラは6万円前後から手に入るようになり、130年かかって完成したフィルムカメラに比較して、メーカーの努力は大変なものだとおっしゃっていた。
 私は最新の画像処理ソフトや昇華型プリンタを見たかったので、主にそのブース中心で回ってきた。画像処理ソフトはアドビーの「PHOTOSHOP LIGHTROOM」がとても使いやすそうであった。最近は同じカメラメーカーの製品でも、RAWデータを現像するソフトが違うものだったり、メーカーの違うデジタルカメラのRAWデータには、それぞれの専用処理ソフトが必要だったりする。これではそのたびに新しい画像処理ソフトを揃えなければならなくなり、とても不経済である。その点このアドビーの製品はどのメーカーのRAWデータも処理できるので便利である。また、JPEGデータも画像劣化することなく処理ができるので、この点でもとても優れている製品であると思った。
 もう一つの昇華型プリンタであるが、これも最大A5ワイドサイズまでプリントできる機種で、約17万円という価格は、数年前に比べるとずいぶん安くなっており、性能も格段にあがっている。
 近々ニコンD80の購入を考えているので、アドビーの画像処理ソフトは同時購入しなければならないアイテムだろうと思った一日であった。

やっとのことで・・・

 しばらくぶりでの更新になる。
 この間、約半年分のミュージカル体験塾の写真を、公演の写真を含めてまとめていた。
 というのも、今度の日曜日に、第8期ミュージカル体験塾生の卒塾式があるからである。
半年分とは昨年9月16日の東京ドームでのイベント出演から今年3月11日の公演までの写真で、1万枚弱のボリューム(36枚撮りフィルムで278本)のものを800枚にまとめた。いつも稽古場に行くとシャッターを切りすぎないようにしようと思うのだが、それでも6時半から9時過ぎまでの間に、500枚前後は撮ってしまう。イベントや公演などの時はその3倍から4倍にもなってしまう。まめに毎回いいものだけをセレクトしておけば後々楽なのだが、なかなかそうもいかないのだ。
 今回も200〜300枚でまとめようと思っていたが、いざその作業を始めると、ついあれもこれも捨てるのが惜しくなってしまう。なにしろこれらの写真には、1年間頑張ってきた塾生の思い出がつまっているのである。
 一般的に魅力的な写真は、プロの写真家でも50〜100枚に1枚と言われる。1万枚なら100枚程度である。それを800枚にまとめたのだから、かなりその基準を甘くしてまとめたことになる。もちろん写真展の水準ではない。約70名の塾生が万遍なく活躍している写真として選んだものである。それでもたくさん写っている人とそうでない人が出てしまう。すべての塾生が均等に写っている写真としてまとめるのは不可能なので、このくらいで納得してもらうしかない。
 前回まではこれらをCDやDVDにファイルをコピーしたものを数組作成し、そこから各自プリントするようにしていた。しかしそれではとても大人数に対応しきれないので、文化放送スタッフにも相談して、今回からはDVD1枚にまとめたものを塾生に買ってもらうことにした。パソコンが普及しているのでその方が良いだろうとの判断である。はたして卒塾式の日にどんな反応が返ってくるだろうか。

救急搬送

 先日夜中の2時半頃に叩き起こされた。
 父が胸が苦しいので救急車を呼んでほしいというのである。

 とりあえず母が急いで着替えて、保険証、老人医療症、診察券などを所持して、父とともに救急車で病院に向かった。通院治療中でもあり、入院もしたことのある病院なので、そこを指定して搬送してもらった。
 わたしも後からクルマで病院に行ったが、応急処置をしてから主治医の診察まで6時間ほど待たされた。
 父の場合、ヘビースモーカーであったので(缶入りショートピースを愛煙していた)肺気腫と肺がんを発症している。高齢なので抗がん剤や肺切除術は受けずに、放射線治療を6週間にわたって受けた。
 しかしこの治療が終了してから間もなく、胸水がたまりはじめ、自宅でも在宅酸素療法を継続しなければならなくなった。胸水がたまると、ただでさえ肺気腫のため呼吸機能が落ちているのに、胸水がさらに肺を圧迫して呼吸困難に陥る。
 先日は通院の際に胸水を抜いてから10日ほどだったが、夜中に呼吸困難になってしまい、救急車のお世話になることになったのだ。

 担当医からは胸膜癒着術をすすめられていたのだが、放射線治療後に健康状態が悪化してしまったため、新しい治療にたいして拒否反応をおこしていた。しかし胸水がたまってゆくスピードは日に日に早くなっていくので、一日も早く胸膜癒着術をすることで説得された。
 この方法は胸水がたまる症状を抑える効果があり、比較的広く行われる治療のようで、70〜80パーセントの成功率だそうである。

 とりあえずこの日は、入院棟が満床のため入院出来ずに胸水のみ抜いて、入院予約をして帰宅となった。
 家族としては1日も早く入院して、胸膜癒着術をしてほしいと願うばかりである。

 なお、今回は「高槻病院」のホームページに掲載されている関連記事を載せさせていただくことにする。

肺を包んでいるうすい膜を「胸膜(きょうまく)」と呼びます。昔は「肋膜(ろくまく)」と呼ばれていました。この胸膜に炎症が起こった状態を「胸膜炎」といいます。胸膜炎が起こると通常は10mlくらいしかない「胸水」が病的に増えて(時に5000mlも貯まることがあります)さまざまな症状を引き起こします。
胸膜炎の症状としては、咳、胸痛、呼吸困難、発熱などがあります。これは胸膜に炎症が起こったときに神経を刺激したり、胸水が異常に増えることにより肺を圧迫してしまったりするからです。原因は細菌、結核、悪性腫瘍(ガン)、自己免疫疾患(リウマチ、全身性エリテマトーデスなど)、膵炎、肺梗塞などがあります。胸膜炎の検査ですが、まず胸部レントゲン、胸部CTや超音波(エコー)で胸水の存在を確認します。その後、経皮的に胸水穿刺を行って胸水の一部を採取して調べます。胸水穿刺だけで確定診断がつかない場合には、胸膜組織生検(針でするもの、胸腔鏡を用いた手術でするもの)を行います。
治療は原因によって異なります。細菌性の場合は抗生物質を、結核性の場合は抗結核剤を、悪性腫瘍によるものは抗がん剤を、自己免疫疾患によるものはステロイドを使用するなど、各病態に応じた治療を行います。胸水が治療にもかかわらず増え続ける場合がありますが、この時には胸膜腔内に種々の薬剤を入れて胸膜癒着(ゆちゃく)術を行い、胸水が増えないようにコントロールします。
また、胸水は胸膜炎ではなく心不全や腎不全や低蛋白血症でも増加することがあります。この診断にも胸水穿刺が有効です。

確定申告の謎

 きのうのブログで、年金収入のみの確定申告をしたら、追加徴収されたことをお伝えしたが、なぜそうなったのかの謎が明らかになった。

 公的年金の支給は、あらかじめ所得税分の源泉徴収と介護保険料などが天引きされて支給されている。ふつう一カ所から公的年金を受給している場合は、天引きされる所得税はこれだけ済むが、二カ所から年金を受給している場合は、事情が違ってくる。
 父の場合、金額が大きい部分と少ない部分の二カ所から年金を受給している。この二つの年金支給団体は、それぞれもう一カ所の支給機関の情報を知らない。したがって本来ならこれらの年金を合算して所得税を計算すべきところ、金額の大きい方のみ所得税が発生し源泉徴収された金額を支給するが、金額の少ない方は所得税が発生しないため、源泉徴収額をゼロとして年金を支給してしまう。
 このそれぞれの年金を一つにまとめて確定申告をすると、本来合算されて計算すべき所得税が算出されるので、すでに徴収済みの源泉徴収額と、合算して算出される所得税額との差額を追加徴収されてしまうのである。
 年金を一カ所からだけ受給している人には、このようなことはおこらない。これでようやく胸の中のモヤモヤが晴れたのだが、年金を二カ所から受給している人で、この確定申告を知らない人は未申告のまま終わってしまうようなので、申告をしない人の方が追徴課税が生じない分、税金はいくらか得をすることになる。つまり正直に申告する人のほうが多く税金をとられるようなこともありうるので、不公平感はいなめないのだ。
 全国の年金支給機関が、それぞれの情報を統合すればこのようなことにはならないのだが、たぶん無理だろう・・・・。

確定申告

 きょう、確定申告を済ませた。
 と言っても自分のではなく、父の分である。両親は年金生活なので確定申告など関係ないと思っていた。しかし国民健康保険に加入しているので、住民税の申告は義務づけられている。最初住民税の申告をしようと老齢年金の源泉徴収票などを持って窓口に行ったところ、その数字を見て確定申告をするように指導された。
 日を改めて一緒にもらった申告の手引きを読みながら確定申告書を完成させて申告をしたが、結果約2万円の所得税を追加課税された。老齢年金をもらう段階で所得税と介護保険料をすでに天引きされて支給を受けているのに、申告をしてさらに追加徴収とは、なにか納得がいかない気分である。
 小泉内閣が郵政民営化の是非をめぐって選挙に打って出たとき、高齢者の増税も抱き合わせで国民からの合意をとってしまった。ただ郵政民営化のみを表に出していたので、増税のことまで話題になることはなかった。今年度の課税から今まで非課税だった高齢者にも課税されるようになった。所得税や住民税の増税はそれだけでは済まず、国民健康保険税や介護保険料にもその税額をもとに増額されるので、年金でカツカツの生活をしている高齢者には、大変な影響が出て来る。報道番組でも国民健康保険税を滞納して、病気にかかっても病院に行かれなく人が出ていることを話題にするようになった。大変な時代になったものだと思う。
 ただし、今の日本の財政状況は、税金でまかなえるのは全歳出予算の半分ほどだそうだ。これは年収300万円の人が年600万円の生活をしているようなものである。毎年足りない分を借金をして辻褄を合わせていることになる。
 このような現状を考えると、高齢者への増税も致し方ないことなのだろか・・・・。

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