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  • 2012.12.25 Tuesday
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縄文祭り2009

 

 きのうの土曜日、江戸東京博物館で第6回縄文祭りが開かれた。
 私は、この催しのオープニングとエンディングの舞台を依頼されて撮影した。

 撮影と撮影の間は、講演と対談があったのだが、この中で私は国学院大学の小林達雄先生の講演を聞く事ができた。

 縄文時代のことについては、ほとんど知識がなかったので、小林先生の講演はとても興味深く聞く事ができた。 

 1万3千年もの永きにわたって続いた縄文時代は、現代日本の文化にとても多くのものを残している。
 縄文時代に生きた人々は、自然と一体の生活を営み、人間同士の戦争も自然破壊も一切ない時代の中にいた。これはそれよりも前の時代の生活から較べると、土器を創り、集落を形成してそこに定住するところから始まるが、大陸と決定的に違うのは、縄文人は集落のとなりは原であり、自然そのものが広がっており、その自然の恵みの一部を自然から分け与えられて生きていた。
 しかし大陸のそれは、定住する集落のとなりは野良であり、開拓をしてゆく対象だった。開発をするということは、自然との対話は存在せず、征服する対象であったという部分が日本の縄文文化と決定的に異なる部分であったということだった。

 自然と対話することにより、例えば「風がそよそよふく」「雪がしんしんと降る」「小川がさらさらと流れる」というような自然が語りかけてくることを「言葉に」あらわして後世に伝え大和言葉となって現代に伝承されている。このような自然の表し方は、大陸の文化の中にはみられなかったことだという。

 また、その当時生きていた人々は、すでに現代人と変わらぬ知能と知識や感覚を持っていたという。英国で開催されている土偶展で見られるような様々なものの表現を多数残している。また、集落は、夏至と冬至に太陽が昇り、そして沈む場所がよく見渡せるところに発達しているという。これもまた、天文学的感覚は現代のそれと大差がないという。

 この小林先生の講義の内容をあまりうまくまとめることはできないが、あっという間の一時間半だった。

 また、オープニングとフィナーレに行われた舞踊と演奏は、非常に神秘性と迫力に溢れ、素晴らしい舞台だった。

 とても興味津々な催しなので、来年も楽しみにしたいと思う。

横浜JAZZプロムナード2009

 10月10日11日の2日間にわたり、横浜JAZZプロムナード2009が開催された。私は、横浜在住の友人とともに、きのうこの催しを聞きに行った。  かなり歴史のある催しだが、以前に較べて演奏会場がずいぶん少なくなったと友人が言っていたが、はじめて聞きに来た者からみると、それでも大変大規模なフェスティバルだと思う。  二人で行くのでペアチケットを買い、一人3750円で一日中演奏会場への入場はフリーパスになる。早朝友人宅へ行き、二人で相談して入場する会場を決めて、バスで桜木町駅前まで行った。  朝11時から入場できる会場があるので、我々はまず赤レンガ倉庫1号ホールから回り始め、ランドマークホール、みなとみらい大ホールで締めることにした。  赤レンガ倉庫1号ホールでは、平井庸一グループと井上陽介Z's Special、ランドマークホールでは宮之上貴昭スーパークィンテット、みなとみらい大ホールではブルースカイオーケストラのフルバンドジャズと秋吉敏子ソロ&トリオをそれぞれ聞いた。  この中で朝一番で演奏した平井庸一グループの演奏のみ、やや期待はずれの水準の演奏だったが、その他の演奏は非常に水準も高く一流の演奏ばかりで、たった3750円のチケツト代では申し訳ないほどの充実ぶりだった。  特にみなとみらい大ホールでの、ブルースカイオーケストラのステージで、ゲストにペギー葉山さんが出演され、彼女が横浜で大学生だったころ、友人から米軍キャンプで歌ってみないかとすすめられたのが、歌手になったきっかけだったと話してくれた。もちろん1940年代の横浜での話しである。当時の歌手は、みなどこかのバンドと専属契約を結んで、演奏活動をしていたそうで、このブルースカイオーケストラとは先代のお父様がバンドマスターをやっていたころにずいぶん共演させてもらったとのことだった。数曲歌いラストナンバーで「スターダスト」を披露してくれたが、この曲は彼女が専属契約をしていたバンドで歌うラストナンバーとして歌っていた曲で、いまでもこの曲を歌うと、デビュー当時の時代にタイムスリップしてしまうと、この曲に対する思いを語ってくれたのが印象的だった。  また同じ会場で秋吉敏子さんのステージを聞く事ができた。なにも説明がいらないほどの世界的アーティストであるわけだが、ピアノのソロ演奏の合間にご本人のトークも聞く事ができた。  いまではかなりご高齢になったようだが、とてもお茶目な一面を感じることができた。トークの内容ばかりでなく、後半に共演したベースとドラムを加えたトリオでの演奏の時も、ピアノを弾く合間にみせる仕草がとても可愛らしかった。  彼女が修行時代、1955年ころ、横浜の桜木町の近くの「千草」という喫茶店で、一杯50円のコーヒーを注文しては3時間くらい粘るのだそうだ。この店ではJAZZのレコードを聞かせる有名な店で、一曲でも多く曲を覚えるために彼女は毎日のように、この店に通い詰め、覚えたい曲のうろ覚えの部分だけをマスターに頼み込んで何回も、同じ箇所に針を落としてもらっていたそうだ。  そんな彼女が1959年にアメリカに渡り、その後渡辺貞夫などもこの店に通ってはレコードを聞いて曲を覚えたそうである。現代のようにいくら聞いてもすり切れないCDもなければ、楽譜もない時代のお話である。  ということで、きのうほどJAZZを堪能して充実した一日を過ごせたのは、ほんとうに生まれて初めてだった。来年は絶対2日間とも日程を空けておいて、JAZZづくしの時間を過ごそうと思う。

橋田壽賀子のご先祖はシェイクスピア???

  きようは光が丘IMAホールで上演されたシェイクスピア原作「間違いの喜劇」を観に行った。

 私の知っている出演者は、フリーで活躍中の楓子と木村望子さんの二人だ。前回も8月に新宿で上演されたシェイクスピア原作の「リア王」に引き続き、今回は喜劇の作品だった。

 楓子は娼婦と侍女の二役、木村さんは双子の兄弟の兄・エドリエーナ・アンティフォラスの妻という大役で、多くの長いセリフにも負けず熱演していた。

 台本は翻訳のものであると思うが、なにしろ古典作品であるが故に、セリフが日本語の韻を踏む言い回しである上に、非常に長い。これらの長くて言い回しの古いセリフを出演者は見事にこなしていた。

 しかも喜劇であるが故に、その動きもオーバーアクションが多く、特に召使い役の二人はこの中でも激しい動きと、長いセリフをとても良く演じていたのが印象的だった。

 日本の脚本家で、長いセリフが連続する台本を書く事で有名な橋田壽賀子さんのご先祖様は、もしかしたらシェイクスピアなのではないかと思う舞台だった。

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